松原泰道住職とM.P.フォレット
数多くある著書のうち、『「足るを知る」こころ』を再読しています。
「知足」は私がいつも心に留めている言葉。この言葉に対する私の思いはまた後日に記すとして、今回この本を読みながら、前回読んだ時には感じなかったことを今日は記したいと思います。
記したいこと、それは、般若心経「空」の思想です。
「空」には2つの意味がある。「無常」と「無我」。
まず「無常」とは、何事も常に変わり続けるとの意。色即是空、つまり、目に見えるものはいつかなくなる。
次に「無我」とは、何事も互いに関わり合いがなければ存在することができないとの意。空即是色、つまり、持ちつ持たれつの関係があって初めて目に見えるものが存在する。
ここでハッと気付かされたのです。
いま不定期で受講している勉強会での課題図書であるM.P.フォレットの著書「創造的経験」に「空」に似た論理があったのです。
それは、まず「円環的反応」。誰かのある行動は、相手(人、環境、それらとの関係性自体)との関係に連続的に作用を与えながら、かつ与えられながら行われるということ。「経験」は静的でなく、常に変わり続ける中にある。
次に「ゲシュタルト概念」。行動、経験は限られた範囲でなされるものでなく、全体に及ぶという考え方。限定的な影響範囲でなされるものでない。全体との関係性について考えさせられます。
洋の東西、思想的か実践的かの違いはあるけれど、この類似性は面白い。
そんなことを朝の通勤電車で考えていました。