エシカルな考え方とは
エシカル消費についての講演を聞きに行った。
「エシカル」は英語で「ethical」。「倫理的な」との意味。
世界的に取組みが進んできているSDGsとエシカル消費は親和性があるとのこと。
「人・社会・地球環境・地域に配慮した考え方や行動のこと。」
と定義されている。
資本主義経済の負の側面である、格差・貧困・気候変動等々の課題を、市民がエシカルな消費行動を心掛けていくことから解決につなげよう。そのためには、地球のいろいろなところで生じているこのような課題を知ることがまず大事と話されました。
講師の方はお仕事で75ヶ国を廻り、「現在の経済は持てる人と持たざる人との格差で成り立っている」と感じたことから。
インドでの綿花栽培に、大量の殺虫剤が使われていて、そこには驚くほどの低賃金で健康被害を受けながら働く労働者がいる、そして我々は廉価なシャツを喜んで買っているという現実。
そこで、講師の方はフェアトレードでの購買行動を始め、その後にエシカル消費を広める活動につなげていったとのこと。
今日の講演を聞いて、エシカルの考え方には共感できるなと思った。
でも、ちょっと引っ掛かるところがあった。
フェアトレード製品は高いとの話の際、「通常5枚のシャツ買うところ、フェアトレードシャツ1枚を買って、長く使い続けることができれば『自分の得になる』。」と言われたこと。
資本主義社会で自身の損得を重視する風潮が製品の価格競争を生み、格差や貧困の課題がつながっているところに、フェアトレードが結局「自身の得になる」というコメントは魚の骨のように引っかかってうまく飲み込めなかったのです。
なんだか勿体ない気持ちでいっぱい。75ヶ国の渡航経験は並大抵の凄さではないと思う。そこで得たリアルな経験は我々では到底追いつけない領域のもの。そこには資本主義が行き過ぎることへのアンチテーゼとして語って欲しかった。実際は今でも何か腑に落ちない感覚が残ってる。
で、エシカル=倫理的だとの話の中で、
「本来、人間が持つ良心から発生した社会的な規範こそがエシカル」と説明されていた。私としては、それはアメリカの政治哲学者ハンナ・アーレントが唱えた「公共善」の考え方に近いと感じた。
プライベートのエゴを乗り越え、組織の善のために意見を建設的に練り合う、そんな場があっても良いなと考えてしまう。
SDG'sとエシカルの両立点はどこにあるのか。
倫理的であることが豊かさを損なうことになるのか?ならないのか?
まだまだ疑問は湧いてくる。
いろいろと考えされられる講演会だった。